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スタッフブログ

2020.09.05

心斎橋院

二宮 仕事のまとめ その1

こんにちは。女性医療クリニックLUNA心斎橋院長の二宮典子です。

前回までは、8月1日の女性ホルモンセミナーで皆さまから多かったご質問への回答を、行ってきました。ざっくりとした内容ですが、いただいたご質問に万遍なくお答えせていただいたので、セミナーのご報告はいったん終了とさせていただきます。

さらに詳細に知りたいことやご質問などがありましたら、ブログ・Twitter・You Tubeのコメントなどでお知らせいただけると、回答できる範囲で取り上げさせていただきますので、よろしくお願いします。

今回は、表題にもありますが、今までの仕事と今後のお仕事について思うことをお話ししていこうと思います。本日は第1弾。卒後から女性医療クリニックLUNA心斎橋開院するまでの経過について。

LUNA心斎橋を開院するまでのお仕事

医師免許取得から普通の泌尿器科医のとき

クリニックなどの経歴にも書いていますが、私の専門は泌尿器科です。現在はいっちょ前に女性泌尿器科医を自称していますが、医者になった最初の10年くらいは、女性泌尿器科や婦人科疾患は、門外漢でした。

医師免許取得のあとは、研修医期間を2年過ごして、その後大阪市立大学の泌尿器科医局に入局しました。医局に入局後は、一般的な泌尿器科医としてお仕事を行いました。腎臓とか前立腺とか、膀胱とか。そういった臓器を中心に勉強をしました。患者さんの8-9割は男性でした。

女性泌尿器科という分野は知っていましたが、あまり興味もわかず、学会でも話を聞きに行ったりもしていませんでした。(なんせ、患者さんを診ないので)

最初の転機

泌尿器科医として最初の転機が訪れたのは、大学から離れて、関連病院でお仕事をさせていただいていたときです。その頃は、外来も手術も任せていただけるようになっていたので、徐々に女性の患者さんが増えてきていました。

診察、特に外来はまったく面白くなかった!だって治せないもん。患者さんが言っていることもよくわからんし、薬も効かないし、もちろん手術もしないし。

その当時の心境としては、「言われた症状に薬も処方しているし、飲んでも効かへんならしゃーないわ」「死なへん病気やから」「癌とかのほうが大事な病気」という感じです。周りの泌尿器科の先生もそんな感じなので、自分だけ特別という感じもありませんでした。

でも、やはり女医というだけで、女性の患者さんからは「先生に診てもらって安心するわ~」ともったいないお言葉をいただくのです。

ある日、ふと「女性泌尿器科は専門外です」とずっと突っぱねて、自分が診ないことの理由にしてはいけないのでは?と思うようになりました。

関口先生との出会い

そんなときに、ある女性泌尿器科医の講演を聴講する機会があり、そこで初めてちゃんと女性泌尿器科の話を聞きました。

普段の診察で、女性の排尿症状に対する検査や治療に対し疑問を抱くようになった当時の私にとって、周りの先輩医師に聞いても得られなかった対応方法が、その先生の講演の中ですっきり解決をしていくのを感じました。

今では考えられませんが、当時の私は、引っ込み思案でした(笑)。

講演会の後、ご登壇された先生にご挨拶に行くということをしたことがなかったのですが、ここでこの先生との接触の機会を逃したら、また自分の診療が暗闇になってしまうという『野生の勘』が働き、何の躊躇もなく、ご挨拶をして連絡先を交換していただきました。

そしてその先生こそが、私の1人目の師匠となる、現在の当法人の理事長、関口由紀先生なわけです。

LUNA横浜での研修

講演会後、その夜に関口先生にメールで連絡をしました。女性泌尿器科の現場を知りたいという私の要望をお伝えしました。すると、関口先生は名前も知らない女医の研修を、男前に受け入れてくださいました。

また当時の勤めていた病院の泌尿器科の部長の先生も、夏休み期間でもないのに、一番下っ端医師であった私の1週間の研修休みを許可してくださいました。

そんな有り難き環境のお蔭で、門外漢だった女性泌尿器科に、私はずぶっと大きな一歩を踏み入れてしまったわけです。

LUNA横浜での研修は、右も左も全部目新しく、感動することばかりでした。女性医療といっても名ばかりの病院もありますが、LUNA横浜は今までの医療現場のイメージとは大きくかけ離れた場所でした。当時の私は本当に何も知らなかった、ということもあるのですが…。

例えば、日帰り手術。今ではLUNA心斎橋でも当然のように行っていますが、開業医がリスク回避のために実施を避けることが多い中、患者さんが入院をしなくても治療できるという、圧倒的なメリットを実践されていました。昨日まで困っていた臓器脱や失禁のトラブルが、あっという間の1日日帰りで治るなんて、入院手術が当然と思っていた私にとっては目からウロコでした

それから、骨盤底筋リハビリテーション。理学療法士さんが、個別で30分時間をかけてトレーニングを行うという、手厚さ。確かに、骨盤底領域の運動は、やってみれば分かりますが、本当に人それぞれ。その人が当たり前に動かしているやり方が間違っているのに、集団トレーニングで反復運動を行っても根本の問題は解決するはずありません。もともとできるなら、そもそも病気になっていませんからね。

クリニックの素晴らしさを下支えしているのが、内装や展示の美しさでした。医療のノウハウを取り入れた美容メニューがあることも、さらに女性がトキメク要素になっていると思いました。人には言いたくないと病院の受診をためらっている患者さんの心理に、全く真逆の場所のイメージとなるような環境づくりがなされていました。

で、、あっという間の1週間がすぎました。1週間という研修期間でしたが、濃密さでいうと10年くらいいたくらいだと思います。

研修後の道

研修で精神的に10年年をとった私は、女性泌尿器科を実践するには、大学とか大きい病院に所属していてもきっと自分のしたことはできないと思うという信念を抱きます。

当時の泌尿器科教授に「教授が命じた移動先の病院はいやです」「開業したいです」「開業する前に婦人科の先生のところで研修したいです」宣言をするのです。

今考えたら、なんて傍若無人。(汗汗)

でも、その後の婦人科研修で2人目の師に出会います。大阪市大の産婦人科教授の古山将康先生です。

婦人科での研修

古山先生の足元にちょろまかと付いて、手術・外来・笑いの勉強を3か月させていただきました。

これは100年くらいに相当すると思います。

古山先生のもとでの研修は素晴らしいものでした。

古山先生は、外来で患者さんを呼び入れる時に、患者さんがお手洗いで席を立っていると、「シッコ―ゆうよ」とおっしゃいます。わりと大きな声で。オシッコの猶予時間と執行猶予をかけたおやじギャグです。説明するのも恥ずかしいです😑。これを毎回、古山先生は連発します。

何がすごいって、3~4時間の外来枠に50人~60人の患者さんがいる、忙しいにもほどがあるという外来です。その中で、終始、こんな感じなんです。そして、「シッコーゆうよ」に代表される古山語録は100を超えます。8割は下ネタです。笑いの師範すぎます。当時の古山先生は還暦のお茶目なお年頃だったと思いますが、体力は母乳を求めて3時間くらい泣き続けれる生後6か月の赤ちゃんくらいであったと思います。

毎日が勉強でした。

その後、泌尿器科に戻りましたが、3か月と1週間という女性泌尿器科での時間は、医局の泌尿器科のスタッフからは、現世で110年研鑽を積んだと同等とみなされ、外来を任されることになるわけですが、その後半年でLUNA心斎橋を開業しちゃいます。てへ😋

ということで、ちょっと長くなってきたので、次回は開院してからのお仕事の続きを書きます~。本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事の監修者
二宮 典子

医師。泌尿器科専門医・指導医、漢方専門医、性機能専門医。
2015年から女性医療に特化したクリニックの院長として泌尿器科・婦人科・性機能に関する専門的診療に従事。医療者向けの講演会や一般向けのYouTubeなど幅広い活動を行う。2021年にNINOMIYA LADIES CLINICを開院し、院長就任。自院では、医療者にしかできない誠実で安全な美容を提供するべく、アートメイク・女性器治療などにも注力する。